地下鉄名古屋駅 徒歩1分
大人のためのメンタルクリニック
クリニックブログ
Hidamari Kokoro Clinic
PTSDの歴史的変遷について
PTSD
公開日:2025.04.24更新日:2025.07.01
精神医学の文化依存性とトラウマ
心的外傷(psychological trauma、以下トラウマ)を巡る診断概念に関しては、その時々の社会、政治的な状況によって受容と排斥が繰り返され、現在のPTSD概念もそのような歴史的潮流の中で考える必要があります。
PTSDは1980年のDSM-Ⅲに初めて登場し、主にベトナム戦争帰還兵士への心理的後遺症の補償日的でした。しかしPTSD概念はそれまでとは違い、日常の出来事や状況に対しても十分に起こりうる共通のトラウマ反応として広く考えられ、AndreasenはPTSDが多くの患者のために必要な診断であると述べています。またPTSD概念の前駆型としてみなされるものにKraepelinの驚愕神経症などがあげられ[i]、特定目的のための恣意的な概念とは言い難いです。近代ヨーロッパは一部の精神症患者が牢獄で鎖に繋がれており、人道的な治療が盛んになる変化もありましたが、精神症患者への平等性の疑問視や経済的負担の増加も合わさり、この治療は急速に勢いを失います。Kraepelin の早発性痴呆の研究の中で、BleulerはSchizophrenienという概念を提唱し、これは精神機能の分裂化が重要な特性でした。現在では続合失調症への病名改定を始め、様々な変化の中で地域精神医療モデルへと移行しています。
PTSDの歴史的先駆概念とその運命
19~20世紀に渡り、精神医学の診断と患者の処遇は時代と文化の影響を強く受け、PTSDやその先行概念も同様です。
鉄道脊髄症
PTSDの前駆型としてErichsenの鉄道脊髄症(railway spine)が言及され、これは当時急速に勃興しつつあった産業革命時代、花形の鉄道の予想外の事故による精神的影響を医学化しようとした試みでした[ii]。事故後、目立った外傷のない患者に生じた精神的変化を一種の脊髄震症であると考え、具体的な病理が証明されなかったにも関わらず、鉄道脊髄症の概念は急速に受け入れられました。後にPageらによる批判がありつつもあまり広まらなかったのは、鉄道脊髄症による賠償請求の論争が鉄道会社を相手取るという、社会の中での特殊な場面に限局されていたためでしょう。
外傷ヒストリー
フランスのCharcotは外傷ヒステリー(hysterie traumatique)という概念を提唱し、この疾患を神経系の機能的な障害と見なします。これは外傷後の患者に見られる症状を、脳や神経系の器質的な病変ではなく、その働き(昨日)の障害と捉える立場です[iii]。彼はまた心因性のヒステリー研究でも高名であり、外傷ヒステリーは本人の素因が問題で出来事はきっかけにすぎないと考え、症例の中にはごく軽度の転落や犬による咬傷なども含まれています。弟子のBabinskiは暗示症(pithiatism)という概念を提唱し、彼とともに外傷性ヒステリーは自己暗示による自己催眠に基づくものとしたのです。
外傷神経症
器質的病因論としてドイツ神経学会の初代会長Oppenheinは、名前を冠した神経学の教科書が今も出版されているほど高名です。事故や災害後の患者の易刺激性や頭痛・知覚過敏などの諸症状を明確に脳神経系の器質的変化から生じるものとし、初めて外傷神経症(traumatische Neurosen)という概念を提唱します。しかし、当時のドイツは災害等の負傷を含めた国家賠償法を定めており、大戦後に外傷性神経症の診断を求める患者の殺到などから国家財政の負担増でした。諸外国が兵土の精神的な治療のための施設、病院を設立している当時、彼の診断は反国家的であるという非難まで生じ、HocheやGauppらは、「戦争は健康な体験であり、戦争によって精神が病気になることはない」と述べていました。
砲弾ショック
英国心理学会の初代会長でCambridge大学のMyersは第一次大戦に従軍し、診察の中で注目したのは多用された塹壕における兵士に生じた精神的変調でした。当初その原因は、砲弾破裂による飛散した化学物質であると考えたが、次第に逃げることのできない塹壕において砲弾破裂や、死傷した同僚たちと塹壕の中で長時間一緒にすごすことが原因であると考えるようになります。Myersは砲弾ショック(shellshock)という病名を提案し、ショックによって戦えなくなった兵士を守ろうとしましたが、軍によってその活動を禁じられた後は生涯言及しませんでした。
ドイツにおけるトラウマ論
第一次大戦以後、ドイツ精神医学会は過剰な愛国心から戦争による兵士への精神的影響を否定しました。第二次大戦後は強制収容所経験者のトラウマ反応が論じられ、その概念を否定する論考は見られなくなりますが、トラウマ論は長く活性化しませんでした。その理由はドイツ精神医学がナチスに協力した加害的立場にあったこと、敗戦した自国兵士に対してトラウマ救済よりも責任を問う声が強かったことが挙げられます。しかし、21世紀になるとかつての兵士が声を挙げ、またドイツ軍の海外派兵からトラウマについての軍の情報が徐々に公開されるようになり、2006~2010年にかけてドイツ軍におけるPTSD症例数は7.5倍の増加でした。
PTSD論の現在
このようにトラウマやPTSD論のこれまでは一様とは言えず、原因となる出来事もしくは患者集団に対する社会的な関心の如何によって影響を受けてきています[iv]。近年のPTSD概念の拡大には、治療によって回復し得る患者の発見と適切な治療提供という、通常の医学における啓発活動と同様です。しかし、PTSD診断にはトラウマ的出来事の存在が必要であり、被害の発見の拡大と同一であることは臨床医の手に余るという印象を与えた可能性があります。よくある誤解として、被害の出来事が曖味なときにPTSD症状の存在を以て被害事実の証明を求められますが、これは症状論証拠であり応じるべきではないです。
またトラウマ体験を患者が述べると、すぐにPTSDの診断を下してしまう誤解も見られます。研究によると、日本で生死に関わる体験の生涯有病率は60%ですが、PTSDの生有病率は1.3%。トラウマ体験をした人々の大多数がPTSDを発症せず、交通事故被害者の調査でもPTSDの発症率はうつ病とほぼ同等の10%以下であり、トラウマからPTSDを想定することは誤りになります。また、半年を超えた慢性化する事例は30%前後で、元々の特性や併存する身体・精神疾患の影響を含め、慢性化の原因は様々になります。
近年の日本でも公式的なPTSD概念が普及してきましたが、DSMやICDの基準自体は今もなお変貌しています。最近では複雑性PTSDが注目され、一部ヘイトやいじめの影響を含める動きは時流に乗った診断基準の拡大解釈とも言え、こうした診断的逸脱の中には、臨床的な問題意識が隠れていることが多いです。複雑性PTSD基準の採用には40年近くの検討を要したため、診断基準の厳密な運用だけではなく時代やニーズに合わせた基準の洗練さも必要とされます。
参考資料
[i] [ii] PTSDの概念とDSM-5に向けて 金吉晴
[iii] 戦前期日本における外傷性神経症概念の成立と衰退1980‐1940 佐藤雅浩
[iv] 精神保健研究通巻49号_69-71,心因性疾患から見たPTSD概念
野村紀夫 監修
医療法人 山陽会 ひだまりこころクリニック 理事長 / 名古屋大学医学部卒業
保有資格 / 精神保健指定医、日本精神神経学会 専門医、日本精神神経学会 指導医、認知症サポート医など
所属学会 / 日本精神神経学会、日本心療内科学会、日本うつ病学会、日本認知症学会など