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身体的不定愁訴の治療につながる生物心理社会モデル
精神科・心療内科 / 心理面・思考
公開日:2025.10.03更新日:2025.10.03
主観的苦痛の軽減と治療効果を高めるために
身体的不定愁訴とは
患者からの訴えは病因を知る上で重要ですが、医学的に説明のつかない身体症状、いわゆる身体的不定愁訴の訴えがある患者も少なからず存在します。例えばイギリスの調査では27%が医学的に説明のつかない身体症状を呈しており、冠動脈疾患患者の63%は腕や脚、関節の痛みといった原疾患との関連の低い症状を訴える状況であるといわれています。
このような身体症状は生物心理社会モデルに基づく評価が重要とされているため、この記事ではモデルを説明した上で、改善するための治療の取り組みや効果について解説します。
身体的不定愁訴と関連する生物心理社会モデル
身体的不定愁訴は生物学的要因だけでなく、心理社会的な要因も密接に関連し、症状の発生・持続にはこれらの要因が複雑に絡み合い、基礎疾患の種類やその慢性度、さらに個人や環境によって影響を与えます。
生物学的要因は、慢性疾患の存在、身体症状の既往歴、自律神経系・代謝系の異常や腸内細菌叢の異常などが含まれ、症状が長引く基盤となりえるリスクファクターとして考慮することが必要です。
心理的要因は、症状に対する過剰な不安、破局的思考や過度な選択的注意など、多岐にわたります。例えばTurkらは、引き金となる痛みが通常以上に不快に感じさせ、固執確認行為、身体への過剰な没頭、過剰通院や薬物乱用などが引き起こされるとし、うつ病を合併することも多く、その場合は更なる悪化の可能性があるでしょう。
近年はこれらを予測符号化から説明されることがあります。それは脳が過去の経験や知識に基づいて次に起こる感覚入力を予測し、実際の感覚入力との誤差(予測誤差)を最小化することで効率的に環境に適応しようとする理論です。例えば、熱いお湯が入ったカップでやけどすると、「熱いかもしれない」という予測が慎重でゆっくりと触れるような行動調整が行われます。本来、適宜更新されながら生存や生活の改善につながりますが、慢性的な身体症状は負の予測が更新されずに過剰なまま保持されることがあるのです。すると身体症状を強く感じやすくなり、不必要な安静や過度の回避行動が起き、結果として筋力低下や活動範囲の制限といった問題だけでなく症状悪化にもつながります。
このように予測符号化理論は、身体症状の知覚や反応が慢性化のメカニズムに与える影響について、より包括的な理解を可能にしやすく、社会的要因としては、幼少期からの成育歴、現在の人間関係や経済的問題などが挙げられ、これら生物心理社会的要因から様々な健康問題が重なり合うことで身体的不定愁訴に対する治療が複雑化し、管理がより困難となります。
生物心理社会モデルと関連する科学的エビデンス
そもそも、ヒトにだけ身体の各組織の生理学的状態を一括して表象する求心性の伝達経路が確認されており、自分自身を実体として感じる表象は他の高等類人猿にはないものと考えられています。そうした自己表象やそれを伴った意識的経験に関わるおそらく最も重要な要素が“自分が在る”という“自己存在感”ともいえます。
近年、身体的不定愁訴の生物心理社会モデルと関連して「状況の中にいる自己」モデルが挙げられ、予測符号化の考え方を取り入れた自己とその置かれた状況に焦点を当てて発展させたものになります。例えば、現在自身が置かれている危機的状況は、視覚や聴覚などの外受容的感覚や心拍数や体温などの内受容的感覚の入力をもとに把握され、入力された感覚情報は過去の経験をもとに脳の予測と比較することで、次の行動や適応の方向性が決定されるのです。
この予測と比較のサイクルは環境や状況に応じた柔軟な対応を行うための基盤となり、感情もまた自律神経や内分泌・代謝系などの生理的システムも活用しながら状況評価のために重要な役割を果たしています。具多的には、実際得られた感覚情報と脳が予測した感覚情報があまりにもかけ離れている場合、不安や恐怖が引き起こされて心拍数や呼吸が変化するなどの身体反応を引き起こし、適切に行動するための準備を促すことになります。
さらにこのモデルは私たちが持つ信念、過去の記憶や学習によっても影響を受け、もし予測がネガティブなものであれば不安改善のための積極的な行動が抑制されます。社会的環境、人間関係や文化的信念などの社会的要因も意思決定や健康に関連する行動に影響を及ぼします。
自己と環境を統合し、適切な行動に反映させるためには複雑な脳の基盤が必要であり、その中でもデフォルトモードネットワーク(DMN)と、その中核である腹内側前頭前皮質(VMPFC)、さらに島皮質が重要な役割を果たしています。DMNは脳内の大規模なネットワークであり、複数の感覚情報を処理・統合することで、「今ここにいる自分」という感覚を生み出し 、内省的で概念的な思考を想起する領域です。VMPFCは他のDMNや報酬系、島皮質などの脳領域と連携し、自律神経や内分泌系、炎症や免疫系を介して身体の各器官をコントロールしながら、「状況の中にいる自己」に関するモデルの構築を支える役割を果たします。この統合的なネットワークがエピソード記憶、価値やリスクと関連する意味記憶、予測など自己に関連する心理・社会・身体的情報を効率的に処理して環境への適応を可能にするのです。
このような脳の複雑なネットワークが円滑に働いているとき、健康関連の意思決定や身体の自律的な調整機能が正常に作用し、長期的に健康やレジリエンスを高められるはずですが、身体的不定愁訴ではうまく作用していない可能性があります。自己と環境に関する情報の統合を円滑に行えないでいると、過去を踏まえた将来への適切な予測が立たずに最適な行動選択が困難です。こうした否定的な自己認識が長期間継続すると、上記の脳の構造や機能に長期的な影響を及ぼし、強い回避行動やストレスへの過剰な生理反応など適応不全が生じることになります。もし強力な先行予測があると、脳が以前の経験や信念に基づき症状を感じ続け、感覚入力がなくても身体症状が長期間にわたって持続することもあるでしょう。
身体的不定愁訴に対する治療
治療の基本として症状の原因となる疾患の治療を行っても、苦痛や生活への支障が十分に改善しなかったり、原因が不明確であったりする場合は生物心理社会モデルに基づいて説明し、理解を促すことが重要です。さらに、行動の増加や人間関係の交流を通じて健康的な自己認識の向上を図り、効果が不十分な場合には積極的な心理的介人や薬物療法が有効とされます。
2023年のメタ分析より心理的介入、特に認知行動療法(CBT)が身体症状の軽減において有意な効果を持つことが確認されており、CBTは患者の思考や行動パターンを変えることで症状の軽減を目指す手法です。患者の認知面において悲観的、身体感覚増幅、症状過敏性、病気への囚われや核心、症状の原因探索 といった非機能的部分を修正することで、主観的身体感覚だけでなく、社会機能や抑うつ、不安などの多様な心理社会的要因の改善を目指します。また多くの心理的介入ではポジティブな期待感、自己効力感、治療への積極的な参加といった要因が治療効果に影響しています。
このように生物心理社会モデルの理解は、主観的な苦痛を伴う患者の治療に際して重要な視点を提供することができ、身体か精神かの二元的思考を避けて診断や治療プロセスで役立つ情報を患者と医療者で共有できます。
おわりに
身体的不定愁訴に特徴的な生物心理社会モデルについて考察しましたが、社会的背景が身体的不定愁訴に及ぼす影響についてさらなる考察が必要となるかもしれません。そもそもエビデンスの蓄積という観点からも他の精神疾患に比べ大きな差があり、更なるモデルの充実や治療への応用が必要となります。
参考文献
[1] 久崎孝浩(2024) 内受容感覚と共感・心の理解の関係に関する理論的検討_心理・教育・福祉研究_23_p78


