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双極症のグレーゾーン

双極性障害

公開日:2025.04.24更新日:2025.07.06

はじめに

私たちの喜びや悲しみといった気分の変化は自然なことですが、その幅が極端に大きく続くと気分症と診断されることがあります。本来自身の習慣で身に付けるものを、有害性もある向精神薬に頼ることは極端な場合に限るべきです。しかし、軽度でも否定的な影響を与えることや重症化前の症状だと考えれば、早期の発見と治療が重要な課題になります。現代の操作的基準では診断閾値が明らかですが、正常から疾患までの連続性、あるいは他の診断カテゴリーとの連続性を強調する概念が、双極症の場合は「双極スペクトラム」と呼ばれ、軽い気分変動が肯定的な特性と関連している可能性も考えると問題はいっそう複雑です。本記事では「双極症のグレーゾーン」とみなしうる領域についての研究の紹介と、その治療をめぐる倫理的問題についての検討を試みます。

I.正常と疾患のあいだ

世界中で双極症の早期介入の効果検証を行う研究では、ハイリスク状態や前駆症状に関して合意に達することの難しさからかなり困難です。双極症は遺伝率が非常に高いので主に患者の子どもはハイリスク群とし、青年期になると抑うつエピソードから双極症が顕在化するとしたモデルが提唱されていましたが、最近のでは双極症リスクの状態を①閾値下の躁、②1週間以上の抑うつおよび循環性の特徴、③1週間以上の抑うつおよび親が双極症のいずれかとして定義しています。しかし、彼らが治療を求めてきた15~25歳の症例を分析したところ、10年以上経過しても双極症を発症したのは28.6%に過ぎない結果でした。

発病予測の困難さは症状の特異性の問題があり、うつ病、双極症および精神症が起きる可能性についての研究では精神症症状、抑うつ症状、不安、秩序破壊的行動、感情不安定性および睡眠の問題が前駆症状であることが示されています。一方で注意欠如多動症や軽躁症状は双極症の発症と特異的な関連でした。

II.発達と気分のあいだ

双極症の発症には、注意欠如多動症(ADHD)が先行して存在していることが報告されていますが、ADHDは成人期の主要な精神疾患(不安症,うつ病、双極症,物質使用症)を優位に発症しやすいとされています。

双極症とうつ病の2倍のオッズ比の差から、「ADHDによる双極症発症の可能性」が考えられますが、そもそもうつ病の方が2倍以上有病率の高さがある中で、「うつ病から双極性になる可能性が高い」とまで考えてしまうのは明らかな誤りです。

ADHDの顕著な特徴として過集中と注意散漫の変動、衝動性の存在が双極症との関連をイメージしやすいですが、自閉スペクトラム症の併存症の中にも双極症などがあり、発達症と気分症の関連は表面的な印象よりも複雑になります。

III.人格と気分のあいだ

精神科においてカテゴリー診断が主な方法とされている中、カテゴリー診断とディメンション診断についての長所や短所が長く論じられてきました。一方で臨床場面におけるディメンション診断の有用性のジレンマはスペクトラム概念を生み出し、[i]1990年代以降、一部の研究者たちはDSM-IVからの双極症II型は正常と双極症、うつ病と双極症との中間領域を「双極スペクトラム」としてとらえようとする考えでした。この考えは境界パーソナリティ症の臨床に広く影響し、うつろいやすい気分や高い衝動性から、双極スペクトラムは境界パーソナリティ症と診断されやすくなりました。[ii]傅田(2023)によれば、境界パーソナリティ症患者は経過によって約32%が双極症Ⅱ型に診断を変更されていたとのことです。[iii]

その後、2015年に双極スペクトラム推進者の一人であるPerugi,G.らは、サイクロチミアを気分症状のみで定義せず、気分や感情の不安定性、肯定的あるいは否定的刺激に対する過剰反応性を特徴とした循環気質がより顕著になったものとしています。これは双極症の原理をより広い範囲まで適用とし、「双極帝国主義」とまで揶揄されましたがサイクロチミア概念は今日まで発展されていないようです。

2019年に双極スペクトラム概念を批判するBayes,A.らは、双極症II型と境界バーソナリティ症との鑑別に役立ちうる確認項目を提示しています。注意すべき点としては、双極症II型と境界パーソナリティ症のどちらから見ても1~2割が他方の併存がみられることです。併存例に対してはまず「双極症II型に対して薬物療法で安定させてから、心理療法を行うのがよい」と示唆しています。

IV.才能と狂気のあいだ

古くから双極症は創造性と結びつけられ、患者の親族にみられる創造性は天賦の才能でもあるが、だからこそ発病しやすいという両義的な性格とされています。ある種のグレーゾーンとみなせ、以下はGreenwoodら(2020)の紹介です。

双極症は高い遺伝率や自殺率、重い機能障害があるにも関わらず一定の有病率が保たれています。双極症患者の親族のうち健常、あるいは軽い特性を持つ者は創造的な職業に就く割合が高いことが確認され、危険因子が多すぎると発病しますが、程々はむしろ生存に有利に働くのではないかという推測です。

また、双極症の患者はかなりの割合で疾患に肯定的な側面を捉え、「気分の高揚は知覚体験の増幅、気分の変動は共感性の高まりを感じ、つらい経験は贈り物のように感じられるときもある」、としています。肯定的な疾病観は気分安定化への動機づけを妨げ、創造性の低下を感じて服薬の中断や自己調節をしようとするでしょう。しかし、通常経過とともに悪化し、治療しない場合は自殺率が9倍になるまで発展するため、実際に双極症を持つ多くの芸術家や作家が自らの命を絶っています。創造性と双極症との関連を研究して患者のニーズや経験を深く理解することは、より個人に合わせた治療の促進をするために重要です。創造的職業についている双極症患者は一部に過ぎないですが、その職業の多くの側面には達成と不満足の両極端、ストレスの増大などの症状を悪化させるため、個人に合わせた治療計画が必要となります。[iv]

V.事実と価値のあいだ

Fulford,K.W.M.らは、臨床実践における事実と価値の関係を明確化して、双方を大切にしながら治療を進めていくよう勧めています。臨床科学からの事実は一般性が高いものほど強力ですが、価値の方は個別的で当事者から教わらない限りわからず、一般的事実と個別的価値との組み合わせ方が臨床家の技量が問われることになるでしょう。

本村(2025)は臨床実践における価値の大切さを示す最も有名な症例として、神経内科医Sacks,Q.の「機知あふれるチック症のレイ」を紹介しています。Sacks は20代のトゥレット症の男性であるレイの治療で、日々の安定の代わりに彼の音楽の才能を失わせたことに気づき、彼の満ち足りた生活のために服薬のバランスを取ることが必要でした。

双極症のグレーゾーンで考えてみると、当事者の価値観を尊重することは患者自身の症状体験に基づいていても、専門家の知る長期予後の知識には基づいていません。再発を繰り返す危険性を伝えることが求められますが、どんな研究に基づいていても100%の予測とは言えないでしょう。患者の価値観と専門家の予測が問われ、より複雑になればSacksの美談からは次第に遠ざかっていきます。

晩年のSacksの自伝では、統合失調症の兄の存在や自信のamphetamine依存であったことなど浮き沈みの激しさが綴られた生涯でした。自身を含めて誰もがあらゆる障害を少しずつ持っていると訴え、自分という怪物に振り回され、格闘しながらも次第に自分を受け入れていく過程がよく分かります。症状の程度が健常者と患者の中間にあるというだけでなく、疾患が否定的・肯定的双方の価値を持ちうることを示したOliver Sacksこそ、グレーゾーンにふさわしい人物でしょう。

ガイドラインの片隅に

治療ガイドラインに沿う治療とはどの患者にも同じ治療をすることではありません。例えばCINPの双極症の治療ガイドラインにあるように、精神科医は知識や判断の代用品にするのではなく患者独自の事情やニーズを考慮した裁量が任され、個別の患者から得た科学的情報をもとに、治療に関する独立した決断を下す権利を擁護すべきです。特にグレーゾーンでは科学的事実の教えるところが希薄になるために、症例の個別性や価値の問題が顕在化してきます。単に症状の程度をめぐる問題として考えるのではなく、臨床実践における事実と価値の問題としても考え、一方では新しい正確な情報を患者らに提供し、もう一方では無限に多様な患者らの希望に耳を傾けることで、両者を織り合わせていく営みが臨床家個人の機知や熟練を表現することにつながるでしょう。

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参考文献

[i] 仙波純一(2011) 双極スペクトラム概念の問題点を考える-精神経誌113巻12号-

[ii] 仙波純一(2011) 双極スペクトラム概念の問題点を考える-精神経誌113巻12号-

[iii] 傅田健三(2023) 境界性パーソナリティ障害の長期経過と診断の変遷-境界性パーソナリティ障害

[iv] 津田均(2011) 双極スペクトラムの精神病理,治療関係,鑑別診断-精神経誌113巻12号-