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「うつ病のミクログリア仮説」リバーストランスレーショなる研究による解明
うつ病
公開日:2025.04.24更新日:2025.07.06
[ Index ]
I.はじめに
うつ病症状にある自殺念慮は実際に完遂してしまうことが珍しくなく、自殺者の3割にうつ病があるとされ、今世紀最大の社会的損失を与える疾患に位置づけられています。生物心理社 会的な理解に基づく適切な介入法が求められている一方で、うつ病や自殺の生物学的基盤は 十分に解明されているとは言えず、有効な介入方法はほとんどないです。これまで脳内セロト ニン低下に基づいた抗うつ薬の治療が中心であり、ストレスによる理解モデル(HPA)の仮説 も十分とは言えず、新たな生物学的な理解が求められています。
近年では、精神疾患における炎症仮説が多く発表され、うつ病においても髄液、血漿、血清で の炎症性サイトカインの増加が示唆されている状況です。よって本記事でもミクログリアの過 剰活性化によるうつ病や自殺のミクログリア仮説を紹介し、その仮説解明のためのリバースト ランスレーショナル研究の紹介を行います。
II.ミクログリアとは
グリア系細胞の一つであるミクログリアは、脳病態時や損傷時の神経障害をいち早く感知して 活性化される脳内免疫担当細胞です。ミクログリアは活性化に伴って数と形態を大きく変化さ せ、障害部位への遊走、死細胞貪食、炎症関連因子産生増強など様々な機能を発揮するように なります。ミクログリアは活性化に伴う変化が顕著であるため、病態脳・損傷脳における役割が 主な注目でした。i近年では脳内での神経発達神経保護神経免疫応答などに重要な役割を担い、 ミクログリア機能不全や過剰活性化が多くの精神病態への関与が示されています。
III.うつ病・自殺におけるミクログリア過剰活性化
うつ病関連モデルマウスの開発により精神疾患研究には必要不可欠になりましたが、モデル動 物のみでの評価は十分とは言えず、うつ病・自殺の病態生理の理解にはヒトの死後脳サンプル を用いた病理組織学的検索とPET技術を用いた生体画像研究によって行われてきました。 2000 年以降、うつ病を含む精神疾患でのミクログリア過剰活性化は次々と報告され、特にド イツ(2008)では、統合失調症急性期におけるミクログリアの過剰活性化を示す結果でした。 ミクログリア活性化を評価するためには、親和性の高いトランスロケータタンパク質(18kDa) を対象とした末梢性ベンゾジアゼピン拮抗物質(PK11195ii)などを用いた PET 画像検査が 行われてきました。PET研究は2009年頃から盛んになり、2015年にはうつ病患者の前帯 状皮質や海馬など脳内の様々な部位でミクログリアの過剰活性化についての報告でした。こ の研究では海馬のミクログリア活性化が強いほど抑うつが重症であり、うつ病患者に起きるミ クログリアの過剰活性化は抗うつ薬内服により抑制されている可能性があります。 英国マンチェスター大学の研究では、自殺念慮を持っているうつ病患者がミクログリの過剰活 性化を示し、自殺者の死後脳サンプルによる前頭前皮質でのミクログリア活性化の 2008 年 の病理所見を裏付ける結果でした。 うつ病のミクログリア仮説:リバーストランスレーショなる研究による解明
Ⅳ.うつ病治療・自殺予防におけるミクログリア活性化制御の可能性
ドーパミン受容体やセロトニン受容体を含む様々な神経伝達受容体をミクログリアも有してい ることが明らかになり、受容体をターゲットとした抗精神病薬・抗うつ薬などはミクログリアに も直接的に作用を及ぼし、何らかの影響を与えている可能性があります。 九州大学精神科分子細胞研究室では、活性化したミクログリア細胞から放出されるフリーラジ カルや炎症性サイトカインの産生が、抗精神病薬や抗うつ薬により直接的に抑制されることを 明らかにしています。iiiAripiprazole のミクログリアへの作用はドーパミン受容体を介した作 用ではなく、細胞内機序としてカルシウムシグナルや NADPHoxidase-2(NOX2)を介して いる結果でした。さらに、Aripiprazole は温度感受性チャネルの一つであるTRP-M7の発 現の制御を見出し、ミクログリアに発現する TRP-M7 はうつ病の新たな創薬ターゲットにな る可能性があります。他にもCox-2阻害薬などの抗炎症薬や抗菌剤minocyclineにミクロ グリア活性化抑制作用が見出されるなど、今後はミクログリア活性化の制御ができる治療薬の 開発とその実用化が期待です。
Ⅴ.ミクログリア仮説解明のためのヒト血液を用いたリバーストランスレーショナル研究
うつ病および自殺でのミクログリア過剰活性化が示される一方で、患者由来のミクログリアの 分子レベルでの研究が不可欠です。ある。死後脳や PET での研究には限界があり、九州大学 精神科分子細胞研究室では現在、特に患者の血液を用いた橋渡し研究に力点を置いています。
ヒト末梢血由来iMG細胞を用いた研究
加藤らは2014年にiPS細胞を用いず直接ヒト末梢血単球からミクログリア様(iMG)細胞を 作製する技術を独自開発し、リバーストランスレーショナル研究ツールとして活用しています。 彼らのiMG細胞は採血後2週間で遺伝子改変を行わずに作製可能であり、患者の状態の評 価が重要な精神疾患の研究ツールとして特に有用です。 また彼らはすでにいくつかの疾患におけるiMG細胞の特徴的活性化パターンを報告していま す。例えば、双極性障害急速交代型の患者3名の解析では、「躁」と「うつ」の時に採血して作成 したiMG細胞の活性化状態をmRNAの発現量で比較したところ、M2型の代表的マーカー であるマンノース受容体CD206のmRNA発現が「うつ」の時と共通した進行具合でした。双 極性障害での「躁」と「うつ」のスイッチに関する生物学的機構はほとんど解明されていません が、この結果はミクログリアにおいて免疫応答シフトはスイッチに重要な役割を果たしている 可能性を示しています。
サイトカイン・メタボローム・エクソソーム関連解析
他の橋渡し研究として、血漿や血清といった液性因子も重要であり、うつ病において血漿や血 清中の様々な炎症性サイトカイン増加の報告は、脳内ミクログリア活性化が部分的に反映され うつ病のミクログリア仮説:リバーストランスレーショなる研究による解明 ている可能性があります。 加藤らは、抑うつ患者から末梢血を採血しメタボローム解析を実施したところ、抑うつ重症度 に関わる血中代謝物の特定に成功し、特にケトン体の一つである 3-ヒドロキシ酪酸(3HB)は 抑うつ重症度に最も関与する結果でした。3HBの受容体の一つの2型ヒドロキシカルボン酸 受容体は、脳内ではミクログリアに存在し、3HB はこの受容体を介して脳内炎症抑制や脳保 護に貢献しています。鳥取大学のグループでは 3HB の抗炎症作用が治療的に働く可能性を 報告しており、3HB が多いほど抑うつ重症度が高いという加藤らの結果に関して十分な検討 が必要です。 セロトニン仮説ではセロトニンの源となる代謝経路において、アストロサイトではなくミクログ リアへと代謝経路が進むことでキノリン酸などを誘導し、うつ病など精神疾患の病態に関わる という仮説が提唱されています。メタボローム解析ではこうした経路の代謝物を同時測定可能 です。多くの知見から、①キヌレニン経路を介したミクログリア過剰活性化、②キノリン酸の誘 導、③神経毒性因子の生産、④自殺関連の脳ドメインの障害、⑤自殺関連行動という動線が想 定され、仮説解明のためには多軸的な橋渡し研究システムによるデータの集積が求められます。
VI.おわりに
うつ病・自殺のミクログリア仮説解明のためには、バイオ・サイコソーシャルモデルに立脚した臨 床データを網羅的に取得できるシステムの開発が重要であり、多層的なデータを経時的に解 析することで、様々な精神疾患や精神症状の生物学的基盤が明らかになることが期待されま す。ミクログリアの活性化制御によるうつ病や自殺に対する新しい治療法・予防法が創出され るよう、今後こうした研究の発展に期待です。
参考文献
i佐柳 友規ら(2017) 3.脳内ミクログリアの機能-日本生物学的精神医学会誌28(2)-
ii PK 11195 | Sigma-Aldrich
iii 加藤 隆弘(2016) ミクログリア研究で精神分析学・精神病理学を再解釈する試み-日本生 物学的精神医学会誌27(3)-